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■ 翻訳読書ノート8                 北田 敬子

「ことばの艶」

リービ英雄は万葉集のことばは新しいという。『Man'yo Luster 万葉集』
(英訳・リービ英雄 写真・井上博道 アートディレクション・高岡一弥
ビエ・ブックス 2002年)は後付に「『万葉集』についての学術書では
ありません」と書いてある。確かにこれは古典の解読書ではなく、対訳本
でもない。万葉集の歌を英語で表し、日本語の原文で示し、口語訳(講談
社文庫、中西進著『万葉集 全訳注原本付』を底本とする)を付し、収録
したそれぞれの歌のために撮られた写真を配した分厚いペーパーバックで
ある。一首に英語一ページ、日本語一ページ、写真一ページ(時には見開
きで二ページ)という贅沢な編集だ。

リービ英雄は英語圏から日本語のためにこの国に移り住み、かつ世界各地
を逍遙し、中国語にも通じる作家である。彼の書く英語版と、中西の現代
日本語散文版を相次いで読むと、それぞれの万葉集原文との距離がそう懸
け離れていないことがよく分かる。平明な英語詩の方がむしろ詩歌として
のエッセンスをよく受け継いでいる場合が多い。それは意訳などではなく、
忠実な直訳だ。リービ英雄の英語は万葉詩歌の持つ骨太でしかも豊かな叙
情性をストレートに伝えている。彼はそれが画像の力と合わさって真価を
発揮することを知悉していた。日本人ですらもう滅多に見ることのできな
い情景を井上の作品が提供し、ことばと写真を(文字フォント、レイアウ
トも含め)高岡のアートがつないで跳躍させる。

『Man'yo Luster 万葉集』の画像に写る殆どが奈良近辺の風景であり、
四季折々の山河、寺社、動植物でありながら、そこに投影されるのが人
の心であることに読み手は今更ながら気付かせられる。長くこの国のこ
とばの伝統を担ってきた和歌は、英語を通じて新たに器としての堅固さ
を示し、依然として有効な心情表現の方法であること証している。この
ように艶のあることばを擁してきた日本語とこの国の風土へのリービの
眼差しに私の胸は高鳴る。英語も日本語も美しい。


***** For your reference *****
リービ 英雄(本名 リービ,ヒデオ・イアン )
米国籍 作家 法政大学国際文化学部教授
1950年11月29日生 カリフォルニア州バークレー出身
プリンストン大学東洋学専攻卒;プリンストン大学大学院博士課程修了
文学博士(プリンストン大学)〔'78年〕
外交官の父と共に台湾、香港などを移り住み、16歳から日本に住む。
早大、東大、 成城大学で「万葉集」を学び、その後、京大、東大で客
員研究員。1977年プリンストン大学講師、'78年助教授を経て、スタン
フォード大学日本文学準教授に。'87年小説「星条旗の聞こえない部屋」
(日本語)で作家デビュー。'88年小説「新世界」を発表。'90年4月から
日本の聖徳大学人文学部教授となり比較文化を講義する。'94年4月法政
大学第一教養部教授。'99年4月国際文化学部教授。'67年以降日米を往
復し、現在、東京在住。主著に日本語で「星条旗の聞こえない部屋」
「日本語の 勝利」「日本語を書く部屋」、英訳「万葉集」、
英文「柿本人麻呂」他、現代日本文学の英訳など
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■ 翻訳読書ノート7 「マリーの情熱--記録と記憶--」 北田 敬子

マリーという女の情熱に圧倒された、などと書くと如何なる小説のこと
かと問われそうだ。生きた、愛した、仕事した、このマリーは科学者で
ある。『マリー・キュリー1, 2』(スーザン・クイン著 田中京子訳 み
すず書房 1999年)は二十世紀初頭の物理学・化学の発展に抜きんでて
貢献した女性の生涯を躍動的に描いている。最初の伝記作者、マリーの
次女エーヴには触れ得なかった彼女の二度目の恋と破綻、そして科学者
生命をも脅かした大スキャンダルのことも含めて。
それにしても、呆れ果てるほど当時のパリはこのポーランド女性に過酷
だった。
妻帯者ポール・ランジュヴァンとの恋愛糾弾のみならず、ノーベル賞受
賞さえ資格不足だと女性に門前払いを食らわせるフランス学士院の偏狭
さはどうだろう。
そういった攻撃、拒絶、非難をくぐり抜けて蘇るマリーは、現代の言葉
で言えば「サバイバー」と呼ばれるのが一番相応しい。

しかしこの伝記はマリーの個人生活や喜怒哀楽だけに明るいのではない。
それ以上に詳細かつ綿密なのは、一科学者の業績とそれに連動して繰り
広げられる科学・技術の劇的展開の現場を報告することにおいてである。
その詳述を丹念にしかも闊達に日本語にした翻訳者の優れた技量にも触
れないではいられない。科学者の生涯を描くのにその仕事の意味を十分
理解・伝達できなくては始まらない。この翻訳者は原作者の誤認を後書
きで指摘し、マリーへ肩入れしすぎの点をさり気なく批評してくれる。
女性と科学が出会ったのも二十世紀の大きな遺産と特記しておきたいく
らいだ。マリーが自ら発見したラジウムの放射線で体をむしばまれてい
く様子は、科学・技術の「発展」が福音とも災厄ともなる実態をよく伝
え、マリーの名誉回復に最も役立ったのが第一次大戦での医療活動だっ
たことも歴史の皮肉として記録された。マリーの情熱がこの作品を通じ
て将来にも記憶され続けるのは確実だろう。

■ 翻訳読書ノート6                 北田 敬子

文庫になった『ユリシーズ』

文庫版の『ユリシーズ I・II』(ジェイムズ・ジョイス著、丸谷才一・
永川玲二・高松雄一訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ)が出た。朝、
満員電車で広告を見て夕刻本屋に立ち寄ると、平積みの I は II より
だいぶ減っていた。バラして買う人がいるんだ! 全四巻が揃うのは
2003年12月末とか。

2004年6月16日は「ブルームの日」から丁度100年目。
アイルランドのダブリンでは前後四ヶ月間お祭り騒ぎになるらしい。
(ReJoyce, Dublin2004, CelebratingBloomsday 100
サイト http://www.rejoycedublin2004.com/ をご参照下さい。)
ジョイスの激しい愛憎の対象、彼の全作品の舞台、"Dear, Dirty,
Dublin"(愛しく汚いダブリン)には世界中から読者が訪れる。
ジョイスを愛読することにかけて日本人は他国に引けを取らない。
『フィネガンズ・ウェイク』(柳瀬尚紀訳, 河出書房新社, 1991)です
ら翻訳してしまうジョイス贔屓の言葉好き。
改訂が重ねられた『ユリシーズ』を持ち歩けるとは有り難い。

電車に揺られながら読むブルーム氏はさらに馴染み深いキャラクターに
感じられる。どの章から読み始めても構わないような作品だから、その
時の気分で「テレマコス」を、「カリュプソ」を、「ナウシカア」を。
物語の時刻に合わせて読んでもいい。そして【訳注】の詳細なこと。
作家と学究のコラボレーションは痒いところに手が届く。実に各巻の
三分の一は【訳注】だ。

あらためて「なんて面白い小説だろう」と思う。下卑たことも高尚な
ことも一緒くた。かつて論文制作のために青息吐息で読んだ日々が蘇る。
英語の語彙の大方を私は Ulysses から学んだ。今度は楽しみながら読む
『ユリシーズ』の豊饒に感嘆するばかりだ。今なら分かる。あの頃、
Ulysses は繰り返し読んで初めて賞味できる筈だと思った。その通り
だということを文庫本が証明してくれている。
■ 翻訳読書ノート 5                北田 敬子

「ダロウェイ夫人再び」

映画『めぐりあう時間たち』は満席だった。最前列右端の席からは、女優
たちの顔がどれも歪んで見えた。それでも全編に漲る清新な緊張感とアン
ニュイを湛えた悲愴感は十分に伝わり、劇場を出る時私はオリジナルサウ
ンドトラックCDと、マイケル・カニンガム著”The Hours”の翻訳版『めぐ
りあう時間たち/三人のダロウェイ夫人』(高橋和久訳 集英社)を買い
求めていた。カニンガムはバージニア・ウルフの原作を、異なる時代を生
きる三人の女たちの「時間」へと解体・統合して見せ、1960年生まれのス
ティーヴン・ダルドリー監督がそれを映像化した。1998年夏に岩波ホール
でヴァネッサ・レドグレーヴ主演の映画『ダロウェイ夫人』が上演された
時にも連日の満員御礼だったのを思い出す。この二つの映画の盛況ぶりは
示唆的だ。

ウルフの意識の流れを追うのはたやすいことではない。錯綜するイメージ
の連鎖と入れ変わり続ける時間軸、ある人物の意識が突然別の人物の意識
へと飛ぶ際の不連続。きわめて重層的なテクスト。「瞬間の意味」が問わ
れ続ける。ところが映画に描かれる心象風景は、現代の女性たちが抱える
焦燥・孤独・矜持などと見事なまでに直接クロスする。映画は言語テクス
トの一つの「解釈」であり、「翻訳」でもあると思わずにいられない。そ
れは多分に「単純化」でもあるのだが、さらなる凝縮も加わると観客の
「原作」への興味を掻き立てる。もう若くはない女性たちの極めて今日的
な心理状態と、1920年代にウルフが描いたダロウェイ夫人の近しさはどう
だろう。あらためて『ダロウェイ夫人』(丹治愛訳 集英社)を読むとそ
れが実感できる。直ぐに原典へと誘う端正な日本語版を持つわれわれは幸
運だ。ただ劇場で求めたパンフレットの「日本語版字幕 松浦美奈」という
文字があまりに小さいのは残念だった。ことばの仲立ちをする人の存在意
義は計り知れないというのに。


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■翻訳読書ノート4

                          北田 敬子

「翻訳畑の大収穫」

J.D.サリンジャー著、村上春樹訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』
(白水社)出版から一月あまりたった。野崎孝訳『ライ麦畑でつかま
えて』を読んだ世代は、新訳に手を伸ばさずにいられない。ところで
若い読者はサリンジャーが読みたくて新訳を開くのだろうか、それと
も翻訳者に惹かれて本を手にするのだろうか。インターネット検索し
てみると、ズバリ、旧訳と新訳の違いを比較しながら作品解読をして
いる大学の授業がある。書評も花盛りだ。村上春樹の長い作品リスト
に加わったこの訳業について、世代を縦断した話題沸騰中と言っても
過言ではあるまい。

村上春樹は現在、世界で最もよく読まれている日本人作家だろう。彼
は広く世界を旅し、文学と音楽を自在に行き来し、インターネットを
通じて読者と直接語り合い、おまけに翻訳作品が多い--自ら訳し、他
者が彼を訳す--という点でも際だっている。他のどの日本人現役作家
より、一貫して翻訳にエネルギーを注いでいることは見逃せない。
「曖昧な日本語」から遠いスタイルには賛否両論あるけれど、この度
の新訳が多くの新しい読者を獲得しているのは事実だ。作品には作り
物でない日本語が溢れている。

おそらく読者の多くは再び村上自身の作品へ向かうだろう。彼の物語
世界の場面展開にも似て、いつしか「ホールデン・コールドフィール
ド」は(たとえば)「田村カフカ」へと姿を変え、アメリカの街は日
本の都市にすり替わる。レコードがCD/MDに置き換わり、公衆電話が
携帯に道を譲ったとしても、自分をもてあます若者自体は変わらない。
村上のソフトな語り口は時と所を軽々と越える。アメリカ英語の世界
から日本語の世界への転換は、野崎の時代にはこんなにもあっさりと
してはいなかった。差違が魅力だったかもしれない。しかし、言語・
文化の違いを大仰に意識させない書き手、村上春樹を育てたのは『ラ
イ麦畑でつかまえて』だったのではないだろうか。
■ 翻訳読書ノート 3               北田 敬子

「解き明かすことば」

シェイクスピアの国はダーウィンの故郷であり、リチャード・ドー
キンスの出身地でもある。オックスフォード大学屈指のダーウィン
主義者、ドーキンスの『利己的な遺伝子』(紀伊國屋書店 日高敏隆・
岸由二・羽田節子・垂水雄二・共訳)は最初『生物=生存機械論』の
題名で1980年に日本では出版された。そして増補改題され第二版が
出たのが1991年。読み手の要求に押されるようにしてより原題に忠実
なタイトルを得た。増刷され続けるこの科学書の魅力は、自然界の謎
を解き明かすことばにありそうだ。当然、その訳文にも。横溢する比
喩の巧みさに舌を巻きながら読むうちに、思いもよらぬ遺伝子の跳梁
ぶりに驚嘆させられる。

『利己的な遺伝子』では生物の振る舞いの魅力的な具体例が、次から
次に繰り出される。たとえば、別種のアリのコロニーに寄生するアリ
の女王が、寄主の首を切り落とす場面の描写には息を飲む。しかし
ドーキンスは個体を問題にするのではなく、あくまでも生物を遺伝子
の「乗り物(vehicle)」や「生存機械」と見なし、遺伝子から見た生命
体のありようを詳述する。例示も比喩も、そのままでは味も素っ気も
ない情報記号に鮮やかなイメージを与える優れたレトリックとして働く。
但しこの本は所謂ポピュラーサイエンスとは異なり、些かも手心を加
えない生物学講義である。それを日本の専門家たちが共同翻訳してなお、
門外漢に違和感を与えない。

ヒトゲノム解読完了のニュースがメディアを賑わわせる今日、遺伝子・
遺伝情報は専門家ではない人々の関心をも掻き立てて止まない。日常
的に、「遺伝子組み換え大豆は使っていません」などの食品表示を目
にする時代。その遺伝子の正体を「不滅の自己複製子」と呼び生命
連鎖の要として提示するドーキンスの手並みを、正確無比な日本語で
読ませる科学者グループの仕事は、他言語と日本語の間の架橋に留ま
らず、科学者と一般読者の意志疎通というさらに厄介で重要な役目を
果たしている。


『利己的な遺伝子』(THE SELFISH GENE, New Edition)
 リチャード・ドーキンス〈Richard Dawkins〉著
 日高敏隆、岸由二、羽田節子、垂水雄二訳
 紀伊国屋書店 1991.2.28 本体価 \2,718+税
 本書は、動物や人間社会でみられる親子の対立と保護、兄弟の闘い、
 雄と雌の闘い、攻撃やなわばり行動などの社会行動がなぜ進化した
 かを説き明かしたものである。著者は、この謎解きに当り、視点を
 個体から遺伝子に移し、自らのコピーを増やそうとする遺伝子の
 利己性から、説明を試みる。大胆かつ繊細な筆運びで、ここに利己
 的遺伝子の理論は完成した。
 翻訳読書ノート                北田 敬子

「ことば選びのセンス」

読者は何に惹かれて本を手に取るのだろう。時々の関心やその人の趣味、
仕事の必要に迫られて書棚に手を伸ばす。先に書評を読み、人の噂を聞
いて迷いもなく一冊の本を探し出す快感というのもある。それに加えて
翻訳の場合特に、題名への「ことば選びのセンス」の果たす役割は大き
いと思う。直訳では足りない。何もかも自国語に訳せばよいわけでもな
い。あるときには、訳さないことも翻訳者の優れた技となる。

『センス・オブ・ワンダー』(レイチェル・カーソン著、上遠恵子訳、
新潮社1996年刊)はその好例ではないだろうか。同じ著者の『沈黙の春』
も優れた命名だ。だがこの大著に引かれて、敢えて日本語にしてしまっ
たら失われるものもあったかもしれない。日本の読者の多くが英語に通
じている現在、原題の譲れないニュアンスを題名に残す潔さは安直な片
仮名ことばの対極にあるものだろう。装丁にも制作者たちのこころざし
は明らかだ。THE SENSE OF WONDERとRACHEL L.CARSONという英語表記が
日本語の著者名・表題・翻訳者名を上と下から挟んでいる。日本人の写
真家による画像はこの作品を誠実に日本の読者へと手渡す。自然観察の
奥義を説きながら、日本語の放つ香気を伝えるきわめて上質の掌編だ。
海辺の情景、森林の物音、天体観測、そのどれもが人と自然との胸躍る
出会いとして、生涯の喜びの源泉であることをくり返す原文の日本語訳
は、無駄が無く潤いに満ちている。

一度しか読まれない詩集は二度と聴かれない音楽のようなものだ。一度
しか読まれない推理小説があっても良い。飛ばし読みで十分な技術マニ
ュアルもあるだろう。だが、くり返し繙かれ、その度に新鮮な感動を与
える自然科学の読み物があるとしたら、それは科学とことばとの幸福な
出会いと言える。「不思議さに驚嘆する感性」は科学者と詩人が出会う
とても自然な領域に違いない。本来人間の心に色分けされたジャンルは
ない。上遠恵子さんの丁寧な仕事がそのことを静かに語っている。
■ (新連載)翻訳読書ノート            北田 敬子

『朗読者』と「翻訳者」

 翻訳者とはどのような存在だろう。私は目の前にある『朗読者』
(ベルンハルト・シュリンク著 松永美穂訳 新潮クレストブック)
を見つめながら問い直す。この本を読むのはこれでもう三度目だ。初
めは夢中で何も考えずに、二度目は伏線の巧みさを確認しながら、そ
して今度は細部にまで神経の行き届いた端正な文体を味わいながら読
んだ。一旦読み始めるとその都度、途中で巻を措くことが出来なくな
る吸引力を備えた小説。原作の重い主題と軽快なテンポをストレス無
く読者に手渡すことに成功した訳文の故に、『朗読者』が日本の読者
を魅了し続けているのは確かだと思う。

 『朗読者』が魅力的なのは、ナチスドイツの犯罪をめぐる戦後世代
の葛藤を歳の離れた恋人たちの運命に重ねた設定もさることながら、
この作品が「ことばを読むとはどのような行為であるか」という根元
な問いかけを含むからだ。「文盲」である苦しみを、この本を読む前
的に誰が想像できただろう。黙読と朗読の違いにも読者は気付かされる。
ことばが音声を介して伝えられる時人が経験するのは、孤立した営為
である「読書」とは異なる、きわめて濃密な他者との関わりに他なら
ない。優れた翻訳者に助けられて(助けられていることさえ意識せず
に)日本の読者は、ドイツ流の思考と感性が衝突しせめぎ合い止揚さ
れていくところに立ち会う。日本語文化の中では滅多に起こらない個
の厳しい戦いがそこにある。

 私はドイツ語が読めない。これから小説が読めるくらい達者になるま
でドイツ語を勉強することもおそらく出来ない。もし翻訳者がいなか
ったら、私はシュリンクの作品とは永遠に出会えなかったはずだ。翻
訳者は読者と異文化の間に橋を架ける。このように堅固で質実でしか
も優美な橋があるなら、人は幾度でも異世界間を行き来するだろう。
翻訳者の果たす役割は、朗読者に似ているとも思う。異言語のテキス
トに「声」を与えるのは翻訳者だから。
________________________________________________________________

これから出来れば毎月、一介の読者として享受する翻訳作品について短文
を書き綴りたいと思う。英語文学に関する話題が多くなるかもしれないが、
いろいろな場面で出会う作品を取り上げ、あらためて翻訳という仕事・技
の持つ意味に思いをめぐらせてみたい。


☆『朗読者』(原書名 Der Vorleser)新潮社 \1,800(税別)
著者:ベルンハルト・シュリンク〈Bernhard Schlink〉
訳者:松永美穂
内容:学校の帰りに気分が悪くなった15歳のミヒャエルは、母親のよ
うな年の女性ハンナに介抱してもらい、それがきっかけで恋に落ちる。
そして彼女の求めに応じて本を朗読して聞かせるようになる。ところ
がある日、一言の説明もなしに彼女は突然、失踪してしまう。彼女が
隠していたいまわしい秘密とは何だったのか…。数々の賛辞に迎えら
れて、ドイツでの刊行後5年間で、20以上の言語に翻訳され、アメリカ
では200万部を超える大ベストセラーになった傑作。
           (データ提供:日外アソシエーツ BOOKPLUS)

☆松永美穂 (マツナガミホ)
早稲田大学文学部教授(ドイツ文学)。愛知県名古屋市出身。
東京大学文学部独語独文学科卒。フェリス女学院大学文学部専任講師、
助教授を経て、早稲田大学文学部教授。訳書にベルンハルト・シュリ
ンク「朗読者」、分担執筆に「ドイツ―世界の歴史と文化」などがある。
平成12年 第54回毎日出版文化賞特別賞を受賞
   (データ提供:日外アソシエーツ 作家・執筆者人物ファイル)

☆シュリンク,ベルンハルト (Schlink,Bernhard)
ドイツの作家、弁護士、法学者。
フンボルト大学法学部教授;ノルトライン・ウェストファーレン州憲
法裁判所判事。
1982年ボン大学教授、'91年フランクフルト大学教授を経て、'92年東
ベルリン側にあるフンボルト大学(旧・ベルリン大学)で西ドイツ出身
の初の教授に就任。'88年からノルトライン・ウェストファーレン州
憲法裁判所判事を務める。また弁護士としてボンとベルリンに事務所
を持ち、'86年から小説も書き始め、'93年デビュー作「自己欺瞞」で
ドイツ・ミステリー大賞を受賞。'95年「朗読者」を発表、20以上の
言語に翻訳され、米国、日本などでもベストセラーとなる
  (データ提供:日外アソシエーツ 作家・執筆者人物ファイル)
 【著者プロフィール】
   北田 敬子(きただ・けいこ)
  東洋学園大学・現代経営学部教授
  東京女子大学英文科卒業後、東京都立大学修士課程英文学専攻修了。
  バージニア大学教育学部にて在外研究。
  専門は英語文学、言語とコミュニケーション
  ホームページURL http://www.kitada.com/keiko/
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