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 ■ 翻訳読書ノート44                                    北田 敬子

「詩人たちからの贈り物」

 遠い昔、学生時代に講演を聞いた。東大から講師が来るというので、緊
 張して座っていたら温厚な紳士が登壇してこう言った。「英文学の主要
 な源泉は三つあります。聖書とシェイクスピアと、マザー・グースです。
 日本の学者はたいそう熱心にシェイクスピアを論じるけれども、マザー・
 グースを詳しく研究する人は、あまりいません。しかし、英語圏の人々
 が幼い頃から口伝えに聞き覚えて生活の端々に登場するナーサリー・ラ
 イムを知らずして、英語を真に理解することは出来ません。」私は密か
 に「源泉の二つは無理そうだけれど、マザー・グースなら、手が届くか
 も」と思ったものだ。平野敬一先生の謦咳に接した唯一の機会だった。

 平野氏によって開かれた扉は、その後日本に幾度かの「マザー・グース」
 ブームを招来した。1000編にものぼろうかという伝承童謡の全てが日本
 に紹介されたわけではないが、嚆矢を放った北原白秋の足跡を継ぐ詩人
 たちによって、児童書のコーナーに翻訳詞華集が常時並ぶようになった。
 とりわけ谷川俊太郎の訳業は群を抜いている。大学を卒業してどうやら
 少し稼げるようになった頃、私は全集『マザー・グースのうた 第1集~
 第6集』(谷川俊太郎 訳 イラストレイション 堀内誠一 草思社 1975)
 を揃えた。薄い絵本の一冊一冊に愛着がある。それをコアにして内外の
「マザー・グース本」を集めるようにもなった。「童謡」とはいえ、
「マザー・グース」はメロディのついた歌ばかりではない。ライムであ
 るから、韻を踏み、意味以上に音を楽しむことば遊びと言った方が当た
 っているものも多い。音がことばを呼び、常識を覆すナンセンスの領域
 に詩は突入する。子どもは笑ったり怖がったり神妙になったりして、絵
 を食い入るように眺める。いや、子どもばかりではない。

 源泉どころか、支流からも遙かに離れた荒野をさまよう私であるが、確
 かに「マザー・グース」とは色々なところで出会う。ジョイスの作品を
 読んでいて、思わずニヤリとしたこと数知れず、日常の表現でも「誰が
 殺した?」とくればコマドリの詩が思い浮かぶ。谷川との共同作業から
 出発して独自の訳を出した和田誠の作品集『オフ・オフ・マザー・グー
 ス』(筑摩書房1989)、『またまた・マザーグース』(同 1995)は流
 石に作詞家の作品集らしく音とリズムに拘り続け、どうしても日本語で
 脚韻を踏もうという意欲作ばかりで思わず笑いが漏れる。自作のイラス
 トではなく18, 19世紀英米の木版画を加工したという挿絵が、谷川・堀
 内組とはまた違った味を出している。こうなると、大人の楽しみである。

 日本でも公立の小学校で英語を教えることになった。だがくれぐれも
「マザー・グース」は教訓的な子ども向けの詩ではないことを銘記した
 い。いっそ日本の詩人たちからの贈り物の訳詞でうんと遊ばせてから、
「英語ではね」という順序も有りではないかと私は思う。

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