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 ■ 翻訳読書ノート43                                    北田 敬子

「人から人へ受け渡されるもの」

 逝く人があれば、見送る人もいる。『親の家を片づけながら』(リディ
 ア・フレム著 友重山桃訳 ヴィレッジブックス 2007)と『親の家を
 片づけながら 二人が遺したラブレター』(同 2008)は、フロイト研
 究を専門にする精神分析学者として、また一人娘としての著者が向き合
 った、両親との死別に纏わる心の軌跡を刻む書である。

 両親が遺した一軒の家と、その中に詰まっていた夥しい「もの」の数々。
 それらを始末するのが如何に容易ならざる仕事であるか、第一の書は明
 かす。フレムの両親は二人ともホロコーストからの生還者であった。生
 前二人は被害者としての経験を、余りにも過酷でどのようなことばも十
 分に語ることが出来ないと沈黙を保っていた。そのため娘は殆ど親の真
 の姿を知ることが許されていなかった。両親は死んで初めて遺品を通し
 て娘の前に緊張を解く。ものと静かに対峙するフレムが記すのは、個人
 史と世界史を重ねる記録である。

 ロシア系ユダヤ人の父はヴェルツブルグ強制収容所に囚われていた経験
 を持つ。フランスでレジスタンスの闘士だった母はアウシュビッツに送
 られた。ベッドサイドから出てきた父の囚人カードや母の勲章、両親が
 探し求めた肉親や親類縁者の最期を示す記録の数々。それら「忘れては
 いけない」と重く過去を語る品々と、逆に母の手縫いの美しく洒落た衣
 装に極まる豊かな遺品。対比は見事で、フランスの個人宅の抽斗など覗
 けるはずのない者にまで惜しげもなく披露される品々は、残虐と優美を
 併せ持つ複雑な文化を雄弁に語る。

 日常の会話はあっても親子に真の対話はなかったと振り返るフレムが、
 父母をついに手繰り寄せるのは、二人の往復書簡を通じてだった。アウ
 シュビッツと直後の「死の行進」で重症の結核にかかり、スイスのサナ
 トリウムにいたジャクリーヌとベルギーで暮らすボリスが交わした750
 通から、フレムは二人の抱えていたトラウマの正体と愛や希望を読み解
 いていく。手紙のことばを軸に二人の置かれた状況を再構築しながら、
 自分が生まれてきた源泉をたどり、育った背景の謎に迫る筆致は、手紙
 の書き手に対する敬意とことばへの信頼に満ちている。

 ものとことば双方を「記憶」の手がかりとして書き留める仕事は、個人
 の財産を人間の共有財産へと転換させる行為と言えようか。ヨーロッパ
 の人々の記憶がこうして記録されるように、例えば今なおパレスチナで
 続く戦の記録もやがて誰かが残すのかも知れない。時を超え、距離を超
 えてわれわれは書物の中に人々の生きた証を見出す。受け渡されたもの
 をどのように扱えばよいのか、フレムと共に読者も問われる。翻訳を介
 して人類の記録が果てもなくこの国に届けられるのであれば、異国のこ
 とと目をふさぐわけにはいかない。 

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