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 ■ 翻訳読書ノート48                  北田 敬子

「アーティストは藝術家」

半世紀以上も倦まず弛まず情熱を捧げ続ける対象を得た人生は幸福であ
ろう。丸谷才一はジェイムズ・ジョイスで大学の卒論を書いてキャリア
をスタートさせ、自身が小説家・文芸評論家となって一家を為し、今ま
たジョイスの新訳を上梓した。ジョイスの好きな「円環」を地でいく。
落ち着いたコバルトブルーの表紙には日本語で、裏表紙には原語でその
堂々たるタイトルが印字されている。『若い藝術家の肖像』(ジェイム
ズ・ジョイス著 丸谷才一訳 集英社 2009)という、このずっしりと
重い(820g!)単行本を取り上げる読者はいかなる人々であろうか。

総ページ数の1.2%(65ページ)は丸谷自身の小説解題である。のみならず
各ページの下段20%は脚注に充てられている。そうでもしないとこの重
層構造を持つテキストを日本語で味わうことが出来ないと訳者は考える
からであり、調べれば調べるほど掘り出されるヨーロッパ文化(とりわ
けキリスト教と古典芸術にまつわる蘊蓄)の奥深さ・幅広さを日本語に
表す方法はないと彼が確信するからであろう。もちろんジョイスの故郷
であり終生作品の舞台となったアイルランド、ダブリンの地誌や歴史に
ついても同様である。ページをめくりながら私は心の内で「これぞ筋金
入りのマニア、正真正銘のオタクだ」と快哉を叫んでいた。

しかし、この本を通勤電車で読むのは苦痛である。(重すぎる。)ゆっ
たりと構え、図書室か自宅の机(食卓でもOK!)に広げるしかない。何
にも邪魔されずに読書に耽溺できるなら、至福の時が過ごせるだろう。
だが、この作品、初見の高校生が楽しめるか知らん? 幼年時代と少年
時代を描くI章、いよいよ性的な懊悩の始まる思春期II章までは文体の
(比較的な)平明さに助けられてスラスラ行くはずだ。III章の地獄の説
教あたりからリタイア組が出るかもしれない。(いや、ダンジョン巡り
だと思えば受けるのかも。)そこを抜け、天命への問いかけ、拒絶、解
放へ至るプロセスはスリリングだろうか。V章の美学論争、哲学・歴史・
民族観などの「問答」はどうだろう。ただ面白いとは言えまい。けれど
も丹念な読書のあげくに最終行にたどり着いたなら、達成と高揚感が得
られること間違いなし。

”A Portrait of the Artist as a Young Man”は”Ulysses”と並んで
ジョイスによる20世紀文学の精華とされている。こうして「新訳」で登
場したかつての前衛的作品は未だ色褪せぬどころか益々面妖にテキスト
の迷宮へと読者を誘う。「導師」の役を買って出る翻訳者、丸谷才一の
いかにもしかつめらしい、そして実はきわめてユーモラスなスタンスが、
この本格的文藝作品に新たな命を吹き込んだ。どうか、返品の上裁断さ
れるなどという多くの良書の運命を辿ることがないように! この翻訳
は我が日本語の財産なのだから。


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