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 ■翻訳読書ノート46                   北田 敬子

「音楽の響く小説」

上質の物語を読む時、読者は内的な旅をし、別の人生を生きている。読
んでいる最中は書かれている言語の種類も意識しない。だが翻訳書には
かすかなフィルターが掛かっている気のすることが多い。こんな日本語
をしゃべる人がいるだろうかと時折訝しむことはあるにせよ、それを忘
れさせる文章であるなら多少の違和感はむしろ作品の個性として受容で
きる。『わたしを離さないで』(カズオ・イシグロ著 土屋政雄訳 
早川書房 2006)はそんな本の一冊だと思う。

クローン人間製造システムがあったとして、生まれた子供たちが成長し
て「(臓器)提供者」、あるいはその「介護人」となって使命を果たす
までをこの物語は描いている。散りばめられた暗示から次第にその設定
は明らかになっていく。ごくありふれたイギリスの片田舎の若者たちに
鬱屈はあっても、自分たちの特殊性を自覚する彼らには運命を変えよう
とか逃げ出そうという意志は働かない。語り手のキャシーと、親友であ
りライバルでもあるルースと、この二人と関わりを持つトミーの心の機
微を中心に、外的にはあまり起伏のない彼らの日常が綿々とつづられる。

若者たちは世間一般の人々と混じり合って生きる機会がないことを嘆き
はしないが、「ポシブル」と呼ぶ自分たちの生命の元であったかもしれ
ない人との出会いを密かに期待するところはある。予め定められた人生
の中で彼らは健気に愛し合い、憎み合い、許し合う。人ならぬヒトから
も自身の存在の意味を問う「心」を省けるはずはないと、彼らは静かに
語り続けているようだ。運命執行猶予への仄かな希望が失われたとき、
小説は終わる。

クローン人間の成長という着想は荒唐無稽なのか、それとも現実味を帯
びているのか?人権思想を生み、ダーウィンを生み、かつクローン羊の
ドリーを生んだ国で書かれるべくして書かれたと思えば、日系英国人が
作者であることに拘るのは的外れだろう。それが日本語に訳されて日本
の読者に供される。これは間違いなく国境を越えた我らの時代の作品だ。

実はイシグロの最新短編集『夜想曲集 音楽と夕暮れをめぐる五つの物
語』(土屋政雄訳 早川書房 2009)の洒脱さに唆されて「もう一曲」
と手にしたのがこの本だった。「わたしを離さないで」というのも曲名
である。カセットテープでその曲を流して、命を授かる奇跡を夢想しな
がら一人で踊り、一度は失ったテープをトミーとともに再発見するキャ
シーの物語は、作中に描かれる湿地に打ち上げられた廃船や有刺鉄線に
引っかかって風になびく漂流物と同様、うら寂しくもまた美しい。手の
届きそうな戦慄すべき未来と、取り返しのつかない懐かしい過去は、音
楽が与える夢と幻で緩やかに繋がっている。

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