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 ■ 翻訳読書ノート32 「イランを語る声」       北田 敬子

その取り合わせによって、異質なものの衝突を予感させる題名の本『テ
ヘランでロリータを読む』(アーザル・ナフィーシー著、市川恵里訳、
白水社 2006)はイランをめぐる多声的な覚え書きである。英米の近・
現代小説を読み解く行為を基軸に、「自由な選択」を剥奪された知的な
人々、とりわけ何重にも規制をかけられた女性たちの懊悩と葛藤がきわ
めて「文学的」に語られている。だが、記録されるのは辛く重々しい事
ばかりではない。テヘラン大学を追放されたナフィーシー教授が開く密
かな読書会に集う若い女性たちの、華やぎや恥じらいに満ちたおしゃべ
り、互いの嫉妬や牽制、諦観に混じる勇敢な抵抗などが、心の襞の複雑
さをそのままに克明に描写される。1979年のイスラーム革命を契機に、
欧米社会の趨勢とは逆さまの「反・解放」へ突き進んだ社会に於いて、
文学テキストが生きる為の武器にもなり、鏡にもなり、危険物にもなる
という、元々そのテキストを産みだした国々では既に失われて久しい筈
の「パワー」を発揮するところを目撃するのは痛快でもある。

当然のことながら、イランを頑迷な「宗教国家」として単純に弾劾する
ことを本書は望んでいない。国外に新天地を求めた語り手は、より強く
祖国の有り様に関心を持ち自身のルーツを意識する。それは、テヘラン
でこそロリータやギャッツビーが、ディジー・ミラーやジェーン・オー
スティンの主人公たちが人の想像力を突き動かすように、異郷での祖国
とのあらたな対話構築を切望する声を本書は響かせている。そして個人
の尊厳の剥奪を経験した女性たちの秘める、底知れぬ潜在力をナフィー
シーは世界に示す。

読み手は個人を封殺する体制がイランにのみ固有のものではないことを
感じずにいられない。大なり小なり、何処でも今日「不自由」が拡大し
ているのではないか。さらに、ナフィーシーと、読書会のメンバーの一
人に『イラン人は神の国イランをどう考えているか』(レイラ・アーザ
ム・ザンギャネー編、白須英子訳、思草社、 2007)で読者は再会できる。
ここにはイランをめぐる15編の論考が寄せられているが、うち「テヘラ
ンでクンデラを読む」でナフィーシーの学生ザルバフィアンは、故意の
誤訳と当局の修正によって原作とは別物に作り替えられた作品を唯々諾
々と受け入れる読み手の有り様を描き出している。かつてのわが国の
「墨塗り、伏せ字」が蘇る。テキストと政治の闘争は、今日も遠い世界
の話ではない。
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