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■ 翻訳劇のフシギ・翻訳劇の魅力 4          今井克佳

『赤鬼(ロンドン/タイバージョン)』

ある漁村に異人が流れ着く。村人は彼を「赤鬼」と呼んで恐れ、排除し
ようとするが、村でよそ者扱いをされる女だけが「赤鬼」を助け、親し
くなっていく。

現代演劇を代表する劇作家・演出家・俳優である野田秀樹が『赤鬼』を、
日本人3人とイギリス人1人の俳優で初演したのが1996年。異文化
における差別とコミュニケーションについての深い洞察に基づいたこの
作品は、しかしながら、重たい論理の言葉ではなく、野田の他の劇作と
同様、軽やかな言葉遊びと身体表現によって成り立っている。

この作品は97年にタイ語に翻訳されて、タイ人+イギリス人の組み合
わせで東京とタイで上演され、99年の再演では「赤鬼」を日本人の野
田が演じている。(『ヤック・トゥアデーン』)

さらに、野田は英訳された脚本を用いて2003年、ロンドンでイギリ
ス人俳優とともに、日本人の「赤鬼」とイギリス人の村人、という逆転
の設定でロンドン版(『Red Demon』)を上演した。日本での名声に奢
らず、現地で数年来ワークショップを続けた上、スタッフもすべて現地
で集めた努力の結晶である。

この、ロンドン・タイ・日本の3バージョン連続上演が、渋谷のシアタ
ー・コクーンで行われている。同じ物語・脚本が翻訳された上に異なる
文化を背負う役者によって演じられることによる「違い」の面白さを知
ることは、野田の言葉を借りるならば「文化混流」の醍醐味を味わうこ
とにほかならない。

ロンドン・バージョンは、科白の力・本場の演技術に長ける。英訳は原
作の言葉遊びがそぎ落とされ、日本語だと朦朧としていたプロットや、
ちょっとした科白の意味が際立って明確に現前する。地味なアノラック
姿の野田が、Red Demon として恐れられ、村人達が全員真っ赤な衣装に
身を包んでいるのも皮肉であるとともに意味深い。衣装ダンス一つを装
置として様々に使用する工夫もまた面白く、能舞台をも連想させるシン
プルな美しさに満ちている。

タイバージョンはさらに美しい。真っ白な正方形の舞台に現れる14人
の村人はみな、白い衣装と褐色の肌。歌、踊り、身体表現のアンサンブ
ルを多用した舞台作りは、言葉での描写を拒否するかのように圧倒的に
若々しい力でせまってくる。タイ語が理解できないということもあるが、
ロンドンバージョンでは言葉で伝わってきたことが、身体と表情から伝
わってきた。

喜劇を装いながら悲劇的な結末。しかし最終部の語りは、繰り返し打ち
寄せる大海の波に希望を寄せる。文化衝突の繰り返しがいつか「混流」
に、そして和解への導きとなることを望んで。

【上演】Bunkamura シアターコクーン
 Red Demon(『赤鬼』ロンドンバージョン)2004年8月31日~9月8日
 作・演出・出演 野田秀樹  翻訳・脚色 ロジャー・パルパース
 ロンドン版脚色 野田秀樹 マット・ウィルキンソン
 出演 タムジン・グリフィン マルチェロ・マーニィ 
    サイモン・グレガー他

 ヤック・トゥアデーン(『赤鬼』タイバージョン)2004年9月14日~22日
 作・演出・出演 野田秀樹  共同演出 ニミット・ピピットクン
 翻訳 プサディ・ナワウィチット
 出演 ドゥァンジャイ・ヒランスリ ナット・ヌアンベーン 
    ブラディット・プラサートーン他 


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■ 翻訳劇のフシギ・翻訳劇の魅力 3          今井克佳

『お気に召すまま』

通っていた大学が、郊外の河川敷近くにあったため、よく中古車で通学
して、講義後は仲間と近辺をドライブして時間をつぶしていた。そんな
場所に20年後、シェイクスピア全作品を上演しようという芸術劇場が現
れるとは夢にも思わなかった。当時、演劇めいたものといえば、キャン
パスの空き地の一つに学園祭の期間、出現していたアングラ演劇の黒い
不気味なテントくらいであったのだから。

そのアングラを出身としながら、商業演劇に転じ、シェイクスピアをは
じめとする古典翻訳劇の演出に独自の日本的美意識を導入し、世界的に
知られるようになった蜷川幸雄が、この劇場の芸術監督である。

『お気に召すまま As You Like It』は、この蜷川演出のシェイクスピ
ア・シリーズの一環として、この夏、上演された。今回は若くアイドル
的な風貌の俳優二人を主役に据え、女役も含めて全員が男優という趣向。
確かにもとをただせば、シェイクスピアの時代は、歌舞伎と同じくすべ
て俳優は男。しかしながらこの奇矯で現実離れした筋立ての喜劇を、い
っそう喜劇化する意図も感じられる。

追放された前侯爵の娘、ロザリンドはオーランドという若者に恋をする
が、自身も追放されて、男装しアーデンの森へ逃れる。そこでやはり追
放されてきたオーランドと再会するが、ロザリンドは男装したままオー
ランドと接し、正体を現さない。男装した女性の役を、男優が演じるの
だから複雑である。

さすがに難役、まだまだ、若手には荷が重いか。かなり頑張っているの
はわかるが、演技の固さも見え、野太い声には興をそがれる。むしろ女
装のままの従姉妹、シーリア役が女らしい。それでも、オーランド役を
含めて、若い輝きに、九割方女性の観客はうっとり。決めの場面では拍
手が起こり、二階席の客は手すりに乗り出し(後席からはとても迷惑、
マナー違反)、ウェディングドレス姿でのカーテンコールではスタンデ
ィングだ。やれやれ。

そうか、ここは歌舞伎小屋なのだ、とふと気づく。蜷川の演出では、常
に歌舞伎が意識されてきた。それは客席通路を花道に見立てて演技に使
うということだけではなく、常に観客を挑発し、舞台に観客を参加させ
ること、そして、現状を壊し新奇を創出し、本来の意味で「傾(かぶ)
いて」いくことである。この一見、俗に堕した劇のありようも、蜷川の
創出した江戸的芝居小屋と思えば、納得がいく。

巨木の立ち並ぶ舞台装置はグレーに統一されて、照明とともに深い森の
持つ神秘性を表現して迫力があった。


【上演】
『お気に召すまま』: 彩の国さいたま芸術劇場 2004年8月6~21日
作:W.シェイクスピア  翻訳:松岡和子
演出:蜷川幸雄  出演:成宮寛貴 小栗旬 月川勇気 他
装置:中越司   照明:原田保
■ 翻訳劇のフシギ・翻訳劇の魅力 2          今井克佳

『ハロー・アンド・グッドバイ』

演劇鑑賞ほど、人によって視点や評価が食い違うものはない。それは、
俳優や観客の状況によって上演が毎回同じものにはならないことと同時
に、その内容が大きく個人的な体験とリンクしてしまうことも往々にし
てあるからだ。

七月上旬。六本木の俳優座劇場で南アの劇作家、アソル・フガード Athol
Fugard の『ハロー・アンド・グッドバイ Hello and Goodbye』を観る。
1965年、南ア、ポートエリザベスの町。プアホワイト(貧困白人層)の
姉弟。

作家は『血の絆 Blood Knot』など、アパルトヘイトの状況を鋭く描いた
戯曲で知られるが、この作品は、むしろ作家の成育地と出身階層を描き、
個人的な体験に深く根づいているようだ。戯曲の最後には、自らの父へ
の献辞があるという。

行方不明の姉が15年ぶりに家に戻ってくる。むかし労働で足を負傷した
父が受け取ったはずの保障金目当てである。弟は隣の部屋で寝ている病気
の父を起こすなといい、部屋からいくつもの箱を運び出し、姉弟の保障金
探しはやがて幼かった日の家族の苦い思い出探しとなっていく。

大恐慌時代を生き抜いたことを誇りにしながら母への思いやりを欠く父を
嫌い、母の死後、家出して今は娼婦となった姉。父に従順で、その面倒を
みるため鉄道員の夢をあきらめた弟。思い出を語るうちにセリフはやがて
宗教的な色彩を帯び始め、父=神・キリストであることが象徴されはじめ
る。この戯曲は神の沈黙という重い問題をはらんでいるようだ。

しかしそのことに気がつかなくても、この劇は日本のある世代(昭和30
年代生れ前後か)の多くが感じるであろう親への感情を揺り起こす。親達
が戦争と貧しい時代を生き延びたことを誇りにし、父親が母親に対して理
不尽なまでの権力を振りかざしていた時代の思い出。

友人達と遊びに出る姉に追い返してもついていこうとする小さな弟。面倒
をみるのが嫌で石を投げて追い返す姉。こんな思い出が語られるとどうに
も身につまされてやりきれず泣けてくる。

最近テレビや映画では60年代や80年代に対して、美しい時代として甘
いノスタルジアが描かれる傾向が強い。しかしそんなのはウソだ。あの時
代にはまだ陰惨な旧世代の影が落ちていた。「自分の子供時代には良い思
い出などひとつもない」という姉のセリフの方に自分は深く共鳴する。

久世星佳、北村有起哉の姉弟は、息が合い、しなやかで個性的。美術
(妹尾河童)も特筆に値する。

【上演】2004年7月8日~18日 俳優座劇場
    作 アソル・フガード  
    翻訳 小田島恒志
    演出 栗山民也
■ 翻訳劇のフシギ・翻訳劇の魅力 1          今井克佳
                                                     
『エレファント・バニッシュ』

最近上演された翻訳劇の舞台をレポートしていくのが、この記事の趣旨
なのだが、最初はちょっと変わり種を紹介することにした。前号掲載の
「翻訳読書ノート」とのリンクでもある。

村上春樹の「象の消滅」「パン屋再襲撃」「眠り」を含む 16 の短編が
Jay Rubin によって英語に翻訳され「The Elephant Vanishes」として
ニューヨークで刊行されたのが1993年。上記三作を素材に、イギリス演
劇界の鬼才、演出家サイモン・マクバーニーと日本の俳優たちがロンド
ンでのワークショップを行い、『エレファント・バニッシュ』という舞
台を作り上げたのが、10年後の2003年。東京とロンドンでの成功を受け
て、今年の再演となった。今回は両国だけでなく、ニューヨーク・パリ・
ミシガン州でも上演される予定だ。

日本人作家の書いた小説が、英語に翻訳され、それをもとに演出された
演劇が、日本人の俳優によって日本語で上演される。なんというかぐる
っとまわってまた元に戻ってきました、って感じがとても面白い。

舞台は様々な奇抜なアイディアに満ちあふれている。マイムによる独特
の身体表現。映像の多用。光と闇。空間のねじれ。たとえば「パン屋再
襲撃」の最初のシーン。垂直に立てられたベッドに張り付くように寝て
いる若い夫婦。つまり観客は、天井からの視点で二人を見下ろしている
のだ。突然、夫がベッドの上に立ち上がり、天井を向いて観客に語り始
める。実際は俳優はワイヤーによって水平に吊られているのだ。

こうした演出はただ奇を衒ったものではない。ワイヤーで吊られた夫は
物語を俯瞰する語り手となり、もう一人の自分と妻が演じる物語を、空
中を浮遊しながら語り続ける。自己を客観視する分身。「眠り」では、
眠れなくなった主婦のビデオ日記の映像が、何重にも舞台に映し出され、
同じことのコピーでしかない日常を象徴する。

こういった演出が、村上春樹の描く現代の都市生活の空虚感・孤独感を
かなり正鵠に捉えている。初演ではこなれない印象もあったが、今回は
表現と内容とがするっと繋がって腑に落ちた。

演劇の世界的コラボレートは現在ここまで進んでいる。もちろん東京で
は古典的な翻訳劇も毎夜上演されている。今後、様々な「翻訳劇」のあ
り方を紹介させていただこうと思っている。


【上演情報】
『エレファント・バニッシュ』
 村上春樹 短編集「The Elefant Vanishes」(1993 Knopf 刊)より
 世田谷パブリックシアター+コンプリシテ(ロンドン)共同製作
 演出:サイモン・マクバーニー
 出演:吹越満 高泉淳子 宮本裕子 他


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