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 ■漢文の価値と玄奘の翻訳プロジェクト                  田村洋一

  日本において漢文の読解力が「教養」の不可欠の要素であったのは、
 それほど昔のことではありません。今日「教養」自体が死語になりつつ
 ある中で、自発的に漢文を読もうとする若者は確実に減っていることで
 しょう。考えてみれば、漢文とはまことに奇妙なものなのです。漢字だ
 けで書かれた文章を、「レ点」などを駆使して単語の順序を並べ替え、
 最小限のことばを補い、無理やり日本語らしき文章に再構成して意味を
 把握する…というのが一般的な漢文の読み方です。ここで尊重されるの
 は原文の表現であり、こなれた日本語に翻訳する努力は放棄されていま
 す。漢文は中国語であるにもかかわらず、中国語としての発音もリズム
 も(漢詩では韻律も)無視されます。外国語であって外国語でないのが日
 本の「漢文」なのです。

   現在、都内3カ所の博物館・美術館で「拓本の世界」という特別展が開
 かれています。拓本は金石文を紙に写し取ったもので、漢字の成立と字
 体の変遷を知るうえで貴重な資料です。展示された拓本自体、現代に採
 取されたものではありません。多くは唐宋の古拓で、中には一次資料で
 ある石碑が失われて、拓本のみが伝世している例もあり、拓本の存在価
 値がうかがえます。展示品の中に紀元前11世紀頃の青銅器に刻まれた文
 字の拓本があります。実に3000年前の文字ですが、そのうちいくつかは
 専門家でない私にも読めるのです。漢字、さらに漢文が読めるというこ
 とは過去3000年の東アジアの文化を理解する手段を持っていることを意
 味します。しかし、それを音読するとなると大きな困難に直面します。
 現代中国語で読むことも意味はありますが、本来の発音とは似て非なる
 ものかもしれません。古い時代の発音は正確にはわかっていないのです。
 また、漢文が日本に伝えられた当時、そこにもられた思想内容を表現で
 きるほど「やまとことば」は成熟していなかったと考えるべきでしょう。
 そこで、今日まで続く日本の特異な「漢文」の伝統があるのだと思います。

  さらに大胆な例は「読経」です。日本で「お経」つまり仏典を朗誦す
 る場合は「レ点」すら使わず、漢文を文字が並んだ順序に一律に音読し
 てしまいます。こうなると聞いている側で意味を把握することは困難で、
 哲学的な記述が暗号のような「ありがたいお経」になってしまうのは仕
 方ありません。しかし、仏典は偉大な翻訳作品でもあるのです。かつて
 私は「般若心経」に興味を持ち、文面を見て驚きました。「玄奘訳」と
 書いてあったからです。あの三蔵法師・玄奘が膨大な仏典をサンスクリ
 ットから翻訳したことは知っていましたが、今日の日本で広く用いられ
 ている般若心経が玄奘の翻訳プロジェクトの成果であることを目の当た
 りにしたのです。この仏典漢訳プロジェクトは唐の国家事業として西暦
 645年6月~664年2月に実施されました。それ以来、実に1300年以上も生
 きている翻訳作品なのです。

  シルクロード研究の第一人者である長澤和俊氏が訳された「玄奘三蔵
  - 西域・インド紀行」は、玄奘の伝記「大唐大慈恩寺三蔵法師伝」(慧
 立本、彦ソウ箋、全10巻)、略称「慈恩伝」の前半(第1巻から第5巻まで)
 の口語訳です。漢字の当て字で表された膨大な地名や人名が含まれ、漢
 文からの翻訳として大変な労作ですが、懇切な訳注により素人でも読め
 るように配慮されています。インドから帰国してからの玄奘の業績を記
 した後半は訳されていませんが、長澤氏は詳細な解題で玄奘の翻訳作業
 にもふれられているので、簡単にご紹介します。

  玄奘をリーダーとする翻訳チーム(発足時)は、証義(訳語の考証)の担
 当12名、綴文(文体の統一)の担当9名(いずれも高い見識のある僧)、そ
 のほか口述筆記や浄書の担当、事務処理の役人などで構成されていたそ
 うです。「慈恩伝」の著者である慧立(えりゅう)と彦ソウ(げんそう)も
 スタッフの一員でした。玄奘がサンスクリットを漢文に翻訳し、補佐チ
 ームがスタイルを整え、推敲したようです。インドから持ち帰ったサン
 スクリットの原典は紙に書かれた巻物ではなく、「貝葉(貝多羅葉)」に
 書かれた貝葉本です。貝葉とはヤシ類の葉を一定の大きさに加工した書
 写媒体で、鉄筆に似た筆記具で文字を刻み込みます。書籍にするために
 は複数枚を紐でとじるので紙よりかさばりますが長期保存に耐え、イン
 ドから東南アジアにかけて広く使用されていました。私はバンコクの博
 物館で実例を見ることができました。

  玄奘のプロジェクトで翻訳された仏典は「瑜伽師地論」全100巻、
 「大般若経」全600巻など、総計74部1338巻と記録されています。これ
 だけでは実感がわきませんが、5日間に1巻のペースになるそうで、難解
 な仏教哲学書の翻訳としては驚異的なハイペースと考えられます。おそ
 らくインド滞在中に翻訳の構想はまとまっていたのでしょう。しかも玄
 奘は仏典の翻訳に加えて、西域の地理、政治、経済に関する調査レポー
 ト「大唐西域記」全12巻も作成(おそらく口述筆記)し、皇帝・太宗に提
 出しています。

  玄奘の17年間にわたるインド留学の旅は大変興味深く、いろいろな読
 み方ができると思います。地図で見ると、長安(現在の西安)から目的地
 のナーランダー寺(所在地は現在のビハール州)までは直線(大圏コース)
 で約2500kmですが、玄奘のルートは大きく西に迂回し、少なめに見積も
 っても片道6000kmです。これを徒歩で往復し、インドの大部分も踏査し
 た体力と調査力、さらに高位の権力者や実力者の信頼と支援を得てプロ
 ジェクトを実現させる実行力など、玄奘の人物像は「行動する知性」と
 しても特筆に値するように思います。

 ----------
 ●参考:
 ・「玄奘三蔵 - 西域・インド紀行」(講談社学術文庫、1998)
 ・「大唐西域記(全3巻)」(水谷真成 訳注/平凡社東洋文庫、1999)
 ●注:
 ・人名「彦ソウ」の「ソウ」は、りっしんべんに「宗」

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