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■ 日英語の性質の違いが翻訳に及ぼす影響(その4)
                             小川 明
前回では、次のことを明らかにした。

◆日本語では、名詞に前から掛かる連体修飾要素は短く、名詞句は短く
なる。

[さっき境内を掃除にきた]〈おばさん〉(武田百合子『ことばの食卓』)

◆日本語では、一つの文は短くなる。長くするためには短い文を並列に
繋げていく。

点灯夫とは、夕暮れ時になると/ 街灯ひとつひとつに灯をともし、/ 空
が明るくなると/ その灯を消していく、/ [あの仕事をする] 人のことだ。
(西本郁子『時間意識の近代』)

◆この二つを守ると自然な日本語になることが多い。

ただし長い連体修飾節がいつも不自然になるわけではない。短い文を並
列に並べた場合は、不自然にならない。

[群馬の山村に生まれ 、/東京で苦学して /電気専門学校を出、/戦争に
行き、/肺結核の大手術を受け、 /ふるさとの生家の下の家に婿に入っ
た]〈あなた〉は、電気技師として勤めていた鉱山が閉山になるとともに
東京に行きましたね。 (南木佳士『天地有情』) 

◆どのような時に日本語が不自然に感じられるか。

次の例では、(a)が安西による直訳で不自然に感じられる、(b)が安西に
よる翻訳で自然な日本語になっている。なお[  ] により関係代名詞節
ないしは連体修飾節、〈 〉によりそれが掛かる名詞を示す。

There are 〈plenty of races〉 at the present day [who have〈fully
developed languages〉[in which they can express 〈everything〉
[that is in their mind]]], but [who have no system of writing]].

a. 現在、[[[ 心にある]すべての〈こと〉を表現できる十分に発達し
た] 〈言語〉をもっているが、[書く]〈組織〉をもたない] 多くの〈種
族〉がいる。

b. ある種の種族は、[ 十分に発達した ] 〈言語〉をもち、[考える]
〈こと〉はすべて口頭では表現できるにもかかわらず、表記のシステム
だけはもっていない。しかもこうした種族の数は、今日でもけっして少
なくないのである。

◆なぜ不自然になるのか。

直訳では短い文が並列に連結されていないで、[ ]で示されているよう
に、入れ子になっている。〈種族〉に掛かる[心にある・・・書く組織
をもたない]の長い連体修飾節の中は単に文が連結されているのでなく、
その中に含まれる〈言語〉に連体修飾節 [心にある・・・十分に発達し
た]がかかり,さらに、その中の〈こと〉に[心にある]が掛かっている。
つまり三重に「埋め込み」(文の中に文を繰り入れること)がなされて
いる。実はこれが直訳を不自然にする元凶なのである。

それに対して安西の訳(b)をみるとそのような何重にも渡る埋め込みは
ない。[十分に発達した]と[考える]という短い連体修飾節があるのみで
ある。

◆日本語と英語の違い

英語では、埋め込みを繰り返すことはまったく自然であり、これが文を
長くする重要な手段になっている。

John owned a cat [that killed a rat [that ate cheese [that was
rotten ]]].

その直訳がいかに不自然か見てみよう。

ジョンは[[[腐った]チーズを食べた]ねずみを殺した]ねこを飼っていた。

それに対して、日本語では基本的には、文を並列にならべることによっ
て、文全体を長くしていく。これが二言語の間の大きな違いであり、埋
め込みが何重もある文を直訳すると、ぎこちない日本語にならざるを得
ないのである。不自然な翻訳を生み出す主な原因のひとつになる。これ
は、究極的には日本語がSOV,英語がSVO言語、つまり動詞の位置の違いか
ら出てくると思われる。

◆自然な日本語にするためには埋め込みを繰り返すことを避ける。最大
2回である。

念のため、もうひとつ例をあげよう。安西の例による。

Let us not neglect [as we grow older] the pleasure of re-reading
〈books〉[which we remember [we liked [when we were young]]],
but [which we have mostly forgotten] and [which we should like
to read again].

a. 齢を取るにつれて、[[[[若かった]〈時〉に好きだったと] 覚えてい
る,しかしほとんどは忘れており、そしてもう一度読んでみたい] 〈書
物〉をもう一度読む]〈楽しみ〉を大切にしよう。

b. 齢を取るにつれて、[昔読んだ本をもう一度読み返してみる]〈楽し
み〉を大切にしたいものである。[ [若い頃に好きだった]〈こと〉だけ
は] 覚えていても、内容はほとんど忘れてしまっていて、もう一度読ん
でみたいと思っているような、そんな本を読み返すことにはまた格別の
楽しみがあるものだ。

直訳(a)には四重の埋め込みがあるが、翻訳(b)では二重である。ここで
注目すべきは [若い頃に好きだった・・・もう一度読んでみたいと思っ
ているような]〈本〉となるところを「そんな」を用いて、その埋め込み
を避けていることである。これは埋め込みを避ける一つの効果的な手段
であり、すでに挙げた「点灯夫・・・」の例文でも、そのために「あの」
が使われている。

◆この観点から眺めると、福沢諭吉のアメリカ独立宣言の翻訳がいかに
見事なものであるかわかる。直訳は柳父による。

(29) [When in the course of human events it becomes necessary
[for one people to dissolve the political bands [which have
connected them with another], and to assume among the powers
of the earth, the separate and equal station [to which the Laws
of Nature and of Nature’s God entitle them]]] , a decent respect
to the opinions of mankind requires [that they should declare
the causes [which impel them to the separation]].

a. [人類の諸事件の経過において、[一国民が他の国に結びつけられて
いた] 政治的な絆を解き放ち、[[自然法と自然の神の法がその国民に
付与した分離した] 平等の地位を、地上の列強の間で占めること]がそ
の国民にとって必要になる] 時、人類の世論にたいする当然の配慮は、
[[彼らが分離せざるをえなかった] 理由を宣言すべきである] という
ことを要求する。

b. [ 人生巳むを得ざるの時運にて、一族の人民、他国の政治を離れ、
/ 物理天道の自然に従って/ 世界中の万国と同列し、/ 別に一国を建
てる] の時に至ては、/ [其建国する] 所以の原因を述べ、/人心を察し
て/ 之を布告せざるを得ず。

短い文を並列につなぎ、埋め込みの繰り返しを避けている。原文及び
その直訳ではある幾重もの埋め込みがなくなっている。まさに上で述
べたことが、直観によって実践されているのである。

◆以上4回にわたり、日英語の構造上の差から出てくる翻訳上の問題に
ついて説明を試みた。まだまだたくさんあると思うが、これからも言語
を研究している者の立場から調べてみたい。

【著者略歴】
 小川 明(おがわ・あきら)
 東京家政大学文学部教授
 1942年生まれ。東京教育大学大学院文学研究科修士課程修了。山口
 大学、名古屋工業大学を経て、現職。英語学を専門とする。
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■ 日英語の性質の違いが翻訳に及ぼす影響(その3)

                             小川 明
◆名詞に前から掛かる修飾要素は短い

前回では、次のことを明らかにした。日本語と英語のどちらの言語でも
名詞に前から掛かる修飾要素は短い。

a. ある精神病院へ曲がる〈横町〉     (芥川龍之介『歯車』)
b. さっき境内を掃除にきた〈おばさん〉(武田百合子『ことばの食卓』)
c. the most dangerous〈creature〉
d. three beautiful young〈girls〉

それと対照的に、英語では、後置修飾は相当長くなることができる。

a.〈machinery〉capable of clearing rubble off the main roads
b.〈the street〉where my grandmother had lived

日本語では、後置修飾は存在しないので比較しようがない。

◆英語は、文でも動詞の前は短く、後は長い 

さて、文についてはどうであろうか。文の中心は動詞であって、英語で
は、その前後に文を構成する要素がくっつくことができる。よく知られ
ているように、基本的には、主語のみが動詞の前にきて、動詞の前より
後の方が圧倒的に長くなる。

この性質から出てくるのがいわゆる形式主語である。長い主語を避ける
ためにitを用いる。

〈That he was happy〉was evident from his face.
〈It〉was evident from his face that he was happy.

また主語に関係代名詞節を含む頻度はそんなに高くない。これは主語を
できるだけ短くしたい傾向の現れである。

◆名詞句と文はパラレルである

ここで注目すべきことは、英語では、名詞でも文でも核となる要素(名
詞および動詞)の前が短くなり、その後が長くなることできることであ
る。名詞句と文でパラレルである。どちらにおいても名詞と動詞に掛か
る要素はその右に右に伸びていくのである。

◆日本語では名詞句だけでなく文も短い

それでは日本語を観察してみよう。やはりパラレルである。名詞句にお
いて名詞が最後にくるのと同様に、文においても核になる動詞は最後に
くる。もし核となる要素の前は短くなる傾向があるとすれば、日本語に
おいては、名詞句と同じように、動詞に掛かる要素は短くなるはずであ
る。つまり文は短くなる。この推理はかなり当たっている。ひとつひと
つの文は短い。

出立の朝、七時に飯を食っていると、栄吉が道から私を呼んだ。黒紋
付の羽織を着込んでいる。私を送るための礼装らしい。女達の姿が見
えない。私は素早く寂しさと感じた。  (川端康成『伊豆の踊り子』)

そこで、日本語では、文を長くするために短い文をいくつも連結させる
手段をとる。

a. 点灯夫とは、夕暮れ時になると/ 街灯ひとつひとつに灯をともし、
/空が明るくなると/ その灯を消していく、/[あの仕事をする人]のこと
だ。  (西本郁子『時間意識の近代』) 

b. 読者は、この男と共に、[人のいない路]を歩き、/ [人気のない]家
を眺め、/風鈴の音や小鳥の鳴き声に耳をすませ、/そして、ゆったりと
畳に寝そべっている、/その贅沢を味わう。(清水正『つげ義春を読む』)

以上日本語では名詞句でも文でも短くなる傾向があることがわかった。

◆なぜ前短・後長になるのか

なぜこのように核になる名詞と動詞の前が短くなり、後が長くなる傾向
が存在するのであろうか。日本語では前にしか生じることができないの
で、常に短くなる。その答を提案してみたい。
私たちが文を理解していく時、動詞に、掛かる要素をすべて掛け終わっ
た時、理解したと感じる。これは柳父章『比較日本語論』(日本翻訳家
養成センター)が、福沢諭吉によるアメリカの独立宣言の翻訳に関して
次のように述べていることを証拠にあげることができる。

読者は、動詞が現れたところで、だいじな意味を語る言葉が分り、思考
の流れはひと区切りつく。ひと区切りついた部分は一応前へ預けておい
て、その先へ読み進んで行ける。

そうすると、掛けるべき土台である動詞が出現するまで、読み手は宙ぶ
らりんのままである。そこで、できるだけ早くその中途半端な状態を脱
したい。そこで動詞の前の部分は短くなる。それに対して動詞が出てき
たあとでは、掛けるべき要素はすぐ結びつけることができる。それゆえ
宙ぶらりんの時間はない。そこで英語では、いくらでも長くできるので
ある。

このことは、名詞の前が短くなり、後が長くなることにも当てはまる。
それゆえ、掛ける要素が常に前にある日本語では、いつも名詞句と文が
短くなるのである。

◆翻訳の問題に戻る

この観点からもう一度翻訳の問題を見直してみると、長さだけの問題で
はないことが明らかになる。長い連体修飾節であっても、短い文を並列
に並べた場合は、不自然にならない。動詞が出てきた段階で終了した感
じになるからである。

a. [群馬の山村に生まれ、/東京で苦学して/ 電気専門学校を出、/戦争
に行き、/肺結核の大手術を受け、/ふるさとの生家の下の家に婿に入っ
た]〈あなた〉は、電気技師として勤めていた鉱山が閉山になるととも
に東京に行きましたね。 (南木佳士『天地有情』) 

b. [早稲田の方からきて/ 高田馬場の駅前で省線のガードをくぐり、
/小滝橋で [新宿からきた] 道と合して/ 中野へと通じている]〈戸塚の
大通り〉は、・・・        (佐多稲子『私の東京地図』)

それではどのような時翻訳が不自然になるのか、次回で調べてみよう。

 【著者略歴】
  小川 明(おがわ・あきら)
  東京家政大学文学部教授
  1942年生まれ。東京教育大学大学院文学研究科修士課程修了。山口
  大学、名古屋工業大学を経て、現職。英語学を専門とする。
■ 日英語の性質の違いが翻訳に及ぼす影響(その2)
                            小川 明

◆やや不自然になる日本語

前回では、長い関係代名詞節を直訳するとやや不自然な日本語になるこ
とを述べた。もっと長い例をあげよう(安西徹雄『英文翻訳術』(ちく
ま学芸文庫)からの例である)。に長い関係代名詞節が掛かって
いる。

Let us not neglect as we grow older the pleasure of re-reading
[which we remember we liked when we were young, but which
we have mostly forgotten and which we should like to read again].

直訳すると、いわゆる翻訳調の訳になる。

[若い頃に好きだったことだけは覚えているが、内容はほとんど忘れて
しまっていて、もう一度読んでみたいと思っているような]<本>

このことについて、安西は、英語は名詞を中心として文章を構成し、日
本語は動詞を中心にして文章を構成するから、「ただ名詞の前に長い修
飾句としてくっつけただけでは、日本語の骨組みに過重な負担をかけて
しまう。」と言う。ここではもっと言語に密着して考えてみよう。

◆修飾句が長いと読みづらくなる日本語

なぜ長くなると、すっと読めなくなるのだろうか。その解答を探る出発
点として、長さの視点から、翻訳ではない日本語の連体修飾節の実例を
眺めてみよう。実はそんなに長くならないのである。

a. ある精神病院へ曲がる<横町>(芥川龍之介『歯車』)
b. さっき境内を掃除にきた<おばさん>(武田百合子『ことばの食卓』)
c. 書斎で頭をかかえ込み、もだえつつことばを紡ぎだす<哲学者>
(鷲田清一『「聴く」ことの力』)
d. わたしがこれまで見たうちでもっとも心動かされた<住宅>
(加藤典洋『語りの背景』)

次はやや長く感じられる例である。

a. 柳宗悦以後の民芸問題をテーマに鳥取県の民芸運動について調べる
学生の<卒業論文>(加藤典洋『語りの背景』)
b. 阪神・淡路大震災のあと、近くの小学校の体育館へかなり長く焚き
出しに通っていたひとりの<女性>
(『鷲田清一「「聴く」ことの力」』)

それと対照的にとても長い例をあげてみよう。次は大江健三郎の『壊れ
ものとしての人間』の一節である。[ ]の長い部分が<有機体>に掛か
っている。平子義雄『翻訳の原理』(大修館)にある引用を使用させて
いただいた。

しかしかれはついに、[谷間の道の白い土埃りにまみれた車座の中心で
語る幼いかれ自身が、昂揚しながらも深い不安にしばしば見まわれつつ、
実感しないではいられなかったところの、かれ自身をその微細なひとつ
の細胞とする、歴史の遠い暗闇に巨大な根をはった、あの]<有機体>
の実在を再び感じとることはないだろう。

文学的視点は抜きにすると、とても読みづらい。普通はこのように長く
はならない。

◆前置修飾しかできない日本語。後置修飾も可能な英語

なぜ長くなると日本語では、読みにくくなるのだろうか。その答を探る
ための出発点として英語を観察してみよう。日本語では名詞を修飾する
要素は常に前に生じる。ところが英語では、名詞を修飾する要素は前か
らも後からも掛ける事ができるのである。
まず前の部分から見てみよう。冠詞・数詞・形容詞など限られた要素が
生じ、かつ短いことに注目。((12)(13)の例は、Collins Cobuild
English GrammarとLongman Grammar of Spoken and Written Englishに
よる。)

a. a fairly common
b. the most dangerous
c. three beautiful young

それに対して後は様々な要素が生じ、長くなることができる。もちろん
関係代名詞節は後である。

a. capable of clearing rubble off the main roads
b. required to support a huge and growing population
c. the three lying on the table
d. of wrapping paper with bits of sticky tape still
adhering to them
e. the first to be elected to the council
f. the where my grandmother had lived

いかに長くなることができるか、次を見てみよう。の後に
ある要素は最終的には、にすべて掛かっていくのである。

This is sowing the corn, that kept the cock, that
crowed in the morn, that waked the priest all shaven and shorn,
that married the man all tattered and torn, that kissed the
maiden all forlorn, that milked the cow with the crumpled horn,
that tossed the dog, that worried the cat, that killed the rat,
that ate the malt, that lay in the house that Jack built.

このことから推理すると、どちらの言語においても前置修飾は短くなる
傾向がある。そして前置修飾しかできない日本語では名詞に対する修飾
は短くならざるをえない。ところが英語では後置修飾(その中に関係代
名詞節が入る)が可能なので、相当長い修飾要素を名詞につけることが
できる。ここでジレンマが生じる。英語の長い後置修飾要素をそのまま
日本語に移すと、短くなる傾向を持つ前置修飾しかない日本語では耐え
切れないのである。

実は、名詞を修飾するのは節だけではなくさまざまな要素があるが、そ
れらも同じように関与する。次の例では、その要素を取って短くした方
がすっと読める。例文(1a)は安西、例文(2a)は池上嘉彦『「する」と
「なる」 の言語学』の一部分を利用させていただいた。(1)(2)の(b)(c)
は、ここでそれに手を加えたものである。

例文(1)
a. この問題について出版されている少数の本当によい<本>
b. この問題について出版されている少数の<本>
c. この問題について出版されている<本>

例文(2)
a. 手に入る食物と言えば野菜ばかりのため、蛋白質不足で苦しんでい
るアジアの何千万人の<人たち>
b. 手に入る食物と言えば野菜ばかりのため、蛋白質不足で苦しんでい
るアジアの<人たち>
c. 手に入る食物と言えば野菜ばかりのため、蛋白質不足で苦しんでい
る<人たち>

次回では、さらにその先に行ってみたい。なぜ日本語と英語のどちらの
言語でも共通に前置修飾が短くなり、英語では後置修飾が相当長くなる
ことが可能であるか、その理由を言語処理の観点から考えてみたい。

 ■ (新連載)日英語の性質の違いが翻訳に及ぼす影響(その1)
                                                         小川 明

 このコラムにおいて翻訳というものを言語研究者の目から眺めてみたい。

 私自身には翻訳の経験はない。しかし日本語と英語の文を理解していく
 時、私たちはどのような方法でそれを行っていくのか(いわゆる「文理
 解」の問題)を調べていくうち、翻訳の問題に突き当った。

 以下、あくまでも翻訳を言語の観点から見るという方針をとりたい。
 翻訳者にはそれぞれの哲学があり、一筋縄ではいかないと思うが、ここ
 では、いかにしたら自然な日本語に移し変えることができるかというこ
 とに焦点を絞りたい。

 同時に、なぜそのようにすると自然な日本語になるのかを二つの言語の
 違いにまで遡って考えてみたい。

 まず具体例をあげてみよう。関係代名詞節を含む文である。以下(1)-(3)
 は、安西徹雄『英文翻訳術』(ちくま学芸文庫)よりとった。

 (1) A great many Americans [ who had never paid much attention
 to Japan, and probably would have gone through life ignorant of
 and uninterested in Japan ], were required to take notice when
 the war came.
 
 直訳すると、次のようになる。
 
 (2) [日本には大した注意は一度も払ったことがなく、おそらく日本に
 ついては無知で興味のないまま生涯をすごしていたであろう]非常に多
 くのアメリカ人は、戦争が来た時、注意せざるをえなくなった。

 この日本語には不自然さを感じる。どうしてだろうか。そこで安西(以
 下敬称を略す)は、これを次のように翻訳する。

 (3)大部分のアメリカ人は、日本のことなど大して注意を払ったことも
 なく、そしておそらくは、日本のことなど何も知らず、興味もないまま
 生涯を終っていたにちがいない。ところがそういうアメリカ人も、戦争
 になってみると、いやでも日本に注目せざるをえなくなったのである。

 どこが異なるであろうか。直訳におけるように関係代名詞節を後から掛
 けないで、英語の順序に従って訳している。
 
 もうひとつ例を見てみよう。(4)-(6)は中村保男『英和翻訳の原理・技
 法』(日外アソシエーツ)による。

  (4)  After walking about three miles we crossed a long bridge
 [ under which muddy water swirlingly flowed from the mountainous
 regions [ where it had rained very heavily the previous night ] ].

 直訳すると、

 (5)  [ [ 前夜に豪雨が降った ] 山岳地帯から渦巻くようにして濁流が
 下を通っている ]長い橋を私たちは、3キロほどあるいてから、渡った。
 
 自然な訳にすると、

 (6) 私たちは3キロほどあるいてから、長い橋を渡った。橋の下には、
 [前夜に豪雨が降った]山岳地帯から出てくる濁流が渦巻くようにして流
 れていた。

 いったん切ってしまって、英語の順序どおりに訳している。

 さてここには、2つの問題が含まれる。
 なぜ私たちが不自然さを感じたのか。
 そして、どのようにこの不自然さを回避したらよいのか、である。

 以下当連載において順次考えてみたい。

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