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 ■ 仕事としての翻訳                  井口 耕二

 ●訳文に翻訳者の解釈を入れてはならない

 前回のメルマガで、以下のように書きました。

 >>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
 ここで問題になるのが、何をもって「何も足さない、何も引かない」
 というか、です。単語の並びなど、形の上で「何も足さない、何も引
 かない」ようにすれば、それは字面訳にしかなりません。翻訳では内
 容レベルにおいて「何も足さない、何も引かない」ようにしなければ
 ならないのです。
 >>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>

 この「何も足さない、何も引かない」は完成した訳文に着目した言い方
 ですが、同じことを翻訳の作業について表現した「翻訳者は原文の著者
 と訳文の読者をつなぐ無色透明な存在であり、訳文に翻訳者の解釈を入
 れてはならない」という言い方もあります。

 これも人によって解釈が大きく異なります。

「訳文に翻訳者の解釈を入れてはならない」が主張されるケースは、大
 きく分けて二つのパターンがあります。

 一つは分かりにくい訳文だという批判に対する反論。翻訳者の解釈を入
 れてはいけないから英語に書かれている通りに訳した、だからこれでい
 いというわけです。残念ながら、「字面訳」に対する言い訳にすぎない
 ことが多いようです。

 もう一つは、勝手訳を避けろという場合。この場合、翻訳を目指してい
 る場合と、勝手訳をするくらいなら字面訳のほうがマシといった文脈の
 場合があります。

 ◎翻訳と解釈の関係

 私は、次のように考えています。

 積極的に解釈することによってのみ、「翻訳者の解釈が入らない翻訳」
 ができる

 禅問答みたいに聞こえるかもしれませんね。でも、たとえ字面訳であっ
 ても、介在した翻訳者の解釈は入らざるを得ないのです。ひとつの単語
 には複数の意味があります。その中から訳文に使った意味を選んだのは
 なぜ?
 
 同じ意味を表す訳語もさまざまあるはずですが、その中から訳文に使っ
 た単語を選んだのはなぜ?
 
 専門用語だから定訳にしたという場合でも、それが一般的な言葉ではな
 く、専門用語だとしたのはなぜ?
 
 すべて、訳した人の解釈です。辞書やクライアント支給の用語集に書い
 てあったから選んだのであっても、他の選択肢を捨ててその選択肢を選
 んだ時点で、訳した人の解釈が少なくとも消極的に入ってしまうわけで
 す。

 たとえば、"president"という単語。これを「社長」とするのか「学長」
 とするのか、はたまた「大統領」とするのか、あるいは、固有名詞の
 「プレジデント」とするのか……まだまだ選択肢は山のようにあります。
 どれを選ぶかは、解釈しだいです。

 ◎「翻訳者の解釈が入らない訳文」とは?

 つまり、「翻訳者の解釈が入らない訳文」などありえないのです。それ
 でもなお、この言葉は翻訳というものの一面の真理をあらわしていると
 思います。次のように理解すればいいのです。

「翻訳者の解釈が入らない訳文」=「原著者の意図が過不足なく読者に
 伝わる訳文」

 そのために必要なのは、まず、「正しく解釈する」こと。そして、正し
 く解釈するためには、言語的なことがらはもちろん、原著者の意図から
 対象読者(原語とターゲット言語、両方の対象読者の差異を含む)、周
 辺知識にいたるまで、きちんとおさえる必要があります。最初の解釈で
 落としてしまった情報が訳文に正しい形で表れることはあり得ないので
 すから。

 ◎原文を解釈しきれなかったらどうするか

 翻訳者は積極的に解釈すべき、極限まで解釈すべきという私の考えの対
 極にある考え方も、翻訳業界ではよく聞きます。その分野の専門家でも
 ない翻訳者に完全な解釈・理解などできない、だから、下手に解釈しよ
 うとして誤訳するより、解釈を避け、原文をなぞるように訳すべきだと
 いう主張です。

 もっともな主張に聞こえるかもしれませんが、解釈を放棄するのは、翻
 訳という仕事自体を放棄することに等しいと私は思います。先の
 "president" の例で言えば、どれにしたらいいのかわからないので「プ
 レジデント」と音を表しておき、あとは読者に判断してもらうといった
 形になるからです。そうしておいて「ここは『プレジデント』じゃなく
 て『頭取』でしょう」と指摘されたら……「少し考えればわかることじ
 ゃないか」と反論するのでしょう。実際、こういう話を聞いたことが何
 度もあります。「少し考えればわかる」ことなら、その少しを考え、
「考えなくてもわかる訳文にする」のが翻訳者の仕事であり、だからこ
 そ、お金がもらえるのだと私は思います。

 一方、「その分野の専門家でもない翻訳者に完全な解釈・理解などでき
 ない」「翻訳者が解釈を間違えば誤訳になる→意図が正しく伝わらない」
 という言葉にも一理あります。どうしたらいいでしょうか。

「完全な解釈・理解などできない」、つまり自分の知識や経験に不足が
 あることを肝に銘じて、調べ、勉強し、少しでも深く解釈・理解する努
 力をする。プロ翻訳者にはこれしかないと思います。

 その上でならば、解釈・理解があいまいな部分が残ってしまったとき、
 その部分について当たり障りのない逃げ方をすることもあるでしょう。

「結局、やってることは同じじゃないか」と思う人もいるでしょう。私
 は大きく違うと考えています。解釈を放棄すれば、すべての文がぼろぼ
 ろになります。1文1文も、何が言いたいかを推測するのに多大な労力を
 必要とするし、文と文が有機的につながらないので段落単位、文書単位
 では、さらに大きな労力が必要になります(実質、理解不能になります)。
 これに対し、解釈をできるかぎりやった上で、最後の手段として逃げる
 ケースなら、おかしな文を、たとえば1ページに1文などに抑えることが
 できます。他の文は、いずれもすんなりと頭にはいるし、文と文も有機
 的につながっている。これなら、逃げた文もそれなりに正しく判読して
 もらえる可能性がそこそこあるはずです(あくまで「そこそこ」ですが、
 仕事を放棄した訳にくらべればはるかに高い可能性を持つはず)。

 もちろん、すべてを逃げずにきちんと訳せれば一番ですが、ほかがきち
 んと訳されていれば、ある1文を大きく誤訳するリスクをとるより、逃
 げたほうが総体的な質があがると考えられることもあります。逆に、逃
 げなければならない文が多いようなら、実力が大きく不足しているとい
 うことになります。

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